私は小学生の頃から吃音を自覚して、今大人になるまでずっと吃音に悩まされ生きている。
そんな中で、吃音に関して印象的なエピソードを書いみようと思う。
私が中学生の頃、担任の先生が吃音を持った先生だった。吃音を持っている人間というのは、吃音を持っている人間を見分けるのが非常に得意である。私も少し会話すれば、その人が吃音を持っているか大体わかる。
その担任の先生も、私が吃音を持っているとすぐにわかったそうである。進路に関する面談をしたとき、最近吃音の調子はどうだい?と急に尋ねられて少々驚いた。進路の話は早々に終えて、二人で吃音の話を長くしていたのを覚えている。先生も子供の頃から吃音を自覚していて、自分なりに治す方法を試行錯誤しながら過ごしていたという。そこで先生が思い立った方法は、あえて人の前に出て話す仕事をし、吃音を克服しようというものだった。学生の頃は生徒会の役員になり、壇上に立ってスピーチをし、大人になってからは教員として生徒の前に立ち、国語という文章を読まなければならない教科をあえて教えていた。それでも先生は、「今でもこうして吃音と闘っているということは、先生は方法を間違えたか、吃音は治らないかということだな」と落胆して言っていたのが、今でも強く覚えている。私はそのとき、吃音は治らないものなのだ、と直感的に感じ取っていたのかもしれない。
私の両親はその頃、私が吃音で悩んでいるのをすでに知っていて、厳しいことは言わなくなっていた。その担任の先生にも、私に対して吃音は治らないものだと言わないでくれ、と両親が口止めをしていたと大人になってから教えてくれた。
それほどに吃音は簡単には治らないと認識したとともに、吃音で悩んでいるのはこれからも私だけじゃないと、少し安心した気持ちもその時同時に湧いたのであった。