吃音の完全な改善は難しい。
私の周りにも、完全に改善したという吃音の人間はいない。
しかし、吃音は日常生活にも支障をきたす、非常に厄介なものである。親しい人間と話す時でさえ、どもって話していたら私自身恥ずかしい気持ちになる。
ではどうしたら幸せに暮らしていけるだろうか?誰とも話さず、仕事も誰とも関わらなくていいような仕事に就き、一日中言葉を発しないで生活したら幸せなのだろうか?私はそうは思わない。
吃音は一つの、個人的なコンプレックスであると私は思っている。コンプレックスは人間であれば、誰しも必ずひとつやふたつ持っているものだ。
その中で私はたまたま吃音というコンプレックスを持っているの過ぎず、吃音じゃない人間も違うコンプレックスを抱えて過ごしているんだ、と考えるようになった。そうしてからは吃音があまりきにならなくなった。もちろん、全く気にならないわけではないが、そうした意識に持っていくことが、人間としての生活のなかで大事なことなのではないだろうか?そうしているうちに、自然と吃音も改善されてくるように思うのである。
生きていれば、さまざまな困難や苦しみや悲しみに遭うことだろうと思う。そんな中で、人間が作り上げたに過ぎない言葉というものが、多少つっかえてうまく話せなかったとしても、それがどうしたというのか。
この辺りは、前回の記事「吃音の克服」でも書いたが、それくらい、大胆に大きな気持ちを持って生きていくことが、吃音というものがほんとうの意味で気にならなくなる方法だと思う。
たくさんの吃音を抱えた方がいらっしゃると思いますし、その程度もひとそれぞれ、悩みの大きさも人それぞれだと思います。それでも、私のように、こうして吃音に悩まされている仲間がいるということが、少しでも皆様の励みになってくれたらと願っております。