社会的に見た吃音

社会に出るということについて、私は非常に不安であった。

今まで自分の周囲には、同い年の学生しかおらず、いざ社会に出て、吃音を持っているとばれたらどうしようという恐怖と戦っていた。

まず一番の難関は、電話での面接の取り付けである。吃音を持っている人の多くは電話での会話が苦手ではないかと思う。電話ではこちらの顔が見えないので、それを利点とする人もいるだろうが、吃音を持っている人間にとっては非常に厄介である。面接の希望の電話の段階でどもって話しているだけでも、テンパッて緊張しているとか、落ち着きがなくて挙動不審だというイメージを最初から持たれてしまう可能性があるのでは、と考えただけでも余計に焦ってうまく話せなくなってしまう。

面接もまた厄介だし、もちろん最終的に戦わなくていけないのは、入社後の職場での毎日である。私の場合、電話対応が苦手なので、コールセンターや窓口対応といった、一般的によくあるような求人は除外して考えなければならなかった。しかし、結局は人と話して働いていかなくては行けない職場がほとんどであるため、これはなかなか解決しない難しい問題である。

私は入社後も、吃音を隠し続けて生きてきたが、時折、吃音に対する知識を持った人間が、やはり社会に出ると結構いるもので、そういった人たちには隠してもしょうがないので、「結構吃音って大変なんですよー」などと言いながら、うまく付き合ってきたつもりだ。それでもやはり、一部の人間は吃音など全く知らず、学生の頃と同じように真似してきたり、バカにしてきたりということももちろんある。

しかし、社会に出て変わったことは、学生のころよりもはるかに、吃音というのがちっぽけな悩みに思えてきたことである。社会に出れば、言葉がどもっていようが、もっと解決すべき問題や難関にたくさんぶつかるし、むしろそっちを乗り越えることに必死で、自分が吃音だということなどどうでも良く感じられてくる。

閉鎖的な環境では、吃音は非常に困難で絶望的なものに感じるかもしれないが、そこを一歩踏み出し、社会の中に飛び出してみると、自分の悩みの小ささに気づくのではないかと、今は思っている。