吃音になる原因は、はっきりとはわかっていないそうだ。
私自身、いつから吃音になったのか、何が原因だったのかなど、正直よくわからないのである。
幼いころにトラウマになるような経験をしたとか、そういったショック症状的な話はよく耳にするのだが、私の家庭はごく平凡な家庭だったし、そういった原因とは無関係に思えた。
自分で吃音であると自覚したのは、小学校の4〜5年生くらいであったとなんとなく記憶している。この時、私は吃音を大した問題と捉えておらず、全く気にせずに過ごしていたのだが、私の両親はそれを強く咎めた。「もっとゆっくり話さないからうまく話せないんだ」とか「次に何を話すか決まっていないのに話すから、先が分からなくなってどもるんだ」など、両親は厳しく私の吃音を矯正しようとしていた。今思えば、そのことが私のなかでは非常に辛く、重いプレッシャーとなっていた。そして強く自分が吃音であると自覚したのと同時に、それが恥ずかしいことであると植え付けられたことにより、改善される道は閉ざされたように思うのである。
決して両親を責めているわけではない。吃音を矯正しようとしたのは私に対する愛情であると、今は理解しているし、その気持ちに対して感謝もしている。
しかし結果としてここで私が言いたいのは、吃音の人間に対して、その知識がない人間がやみくもにアドバイスをしたり矯正させようとしたり、というのはむしろ逆効果なのだということである。
私の場合、吃音を自覚したばかりの頃は、きっと自然に治る、と非常に楽観的に捉えていたし、事実、そのまま楽観的に考えていたならば、大人になる前に治っていたのかもしれないと思うのである。